かんのん日記

主に旅行記です。

寺尾城址へ行ってみた

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横浜市鶴見区馬場三丁目の坂道をのぼった坂道の上に「寺尾城址」の碑がある。

昔、殿山と呼ばれる丘の上には寺尾城があったと伝えられている。

なかなか興味深い場所だ。

33℃まで気温が上昇した本日、汗💦まみれになって行ってきた。

 

お城といっても天守閣のような立派な建物はなく、砦のような山城だったようだ。

鶴見区のホームページにも「なぞに包まれた中世の寺尾城」とあり、その全容は未だ解明されていない。

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城址空堀(からぼり)や土塁など、中世の遺構は整備され、現在は「殿山公園」として保存されている。

どこにでもありそうな小さな公園だ。

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公園の奥に進んで行くと、左手に案内板が見えてきた。

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15世紀前半に後北条氏家臣である諏訪氏により築城されたと伝わっている。

1569年の、武田信玄による小田原攻めの際、第5代城主の諏訪右馬之助が小田原城守備に出向いて留守の間に武田軍に攻められ落城したらしい。

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さらにのぼっていく。

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7月でも紫陽花は美しいな。

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丘の上まで到着。汗だらだら💦

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寺尾城の土塁と思われる。

写真だとよくわからないな🤔

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平成6(1994)年3月に横浜市教育委員会が立てた看板を見つけた。

オニユリの花は美しいが、雑草だらけでちょっと寂れている。

ここの周りは住宅だらけだ。

遺跡を残すということはかなり難しい、と改めて感じた。

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暑いが、ランチに熱々のあさり釜飯(980円)をいただいた。

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あさりたっぷりで非常に美味しい。

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釜飯はまかわさん、コロナのせいで20時までしか営業できないが、お母さんの頑張る姿に元気を頂いています!いつまでも元気でいて欲しいお母さんだ。

 

蔓延防止等重点措置が8月22日まで延期されてしまった。ワクチン接種がいつになるか全くわからないし、蜜を避ける生活に疲れてきた。

 

歩数計 13773歩

東海道川崎宿を歩く

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雨が止んだので、運動不足解消を目的に東海道五十三次川崎宿を歩いてみた。

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こちら、多摩川にかかる六郷大橋からスタート。

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すぐに川崎稲荷社に到着。

1716(享保元)年、徳川吉宗が八代将軍継承で江戸下向の折り、この稲荷境内で休息したと伝えられている。

小さいお稲荷さんだが、今も地元に大事にされているようだ。

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川崎宿は品川と神奈川両宿の伝馬負担を軽減するために1623(元和9)年に設立された。

つまり、川崎宿は最後の方に作られた宿であった。

川崎宿は、最初は新宿と砂子(いさご)の2町から始まり、その後、久根崎(くねざき)と小土呂(ことろ)の町を含む4つで構成されたそうだ。

川崎にも新宿があったのか🤭

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菓寮 東照(とうてる)

大正2年創業。川崎宿の茶屋で好評であった奈良茶飯を現代風にアレンジした「奈良茶飯風おこわ」を食べることができる。

かわっぴら餅という平たい焼き大福がウリ。

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一行寺(いちぎょうじ)

別名閻魔寺として有名らしい。

毎年1月と7月の年2回、閻魔大王の御開帳が行われているが、新型コロナウイルス感染症が収束しないため中止。残念。

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宗三寺(そうさんじ)

鎌倉時代創建。境内には遊女供養塔がある。

曹洞宗の寺で、墓地も大きく、遊女供養塔を見つけられなかった。

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鰻 まるだい

1921(大正10)年創業の鰻屋

新型コロナウイルスに負けない体でいるために、鰻丼を食べようp(^_^)q

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鰻丼3300円。

接客はイマイチだったが、アクリル板をしなくても十分に余裕あるスペースが確保されているので安心して食事できた。

鰻を食べてパワーアップ💪

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散歩再開。すぐに問屋場跡。

「跡」なので、今はセブンイレブン。人の出入りが多いのは昔も今も同じだね。

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これから、いさご通りへ入ります。

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いさご通りの入口にある川崎信用金庫本店の脇には、詳しい看板があった。

読んでいるのはわたしひとりだけだが。

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佐藤惣之助の碑

佐藤惣之助は、大正時代に活躍した詩人で歌謡曲の作詞家としても有名。

阪神タイガース六甲おろし」の作詞家である。

佐藤惣之助は、代々川崎宿砂子の本陣(幕府役人が公用の旅で宿泊する宿舎)を預かる家に生まれた。

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東海道五十三次川崎信用金庫浮世絵シャッター。

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小土呂(こどろ)橋跡

小土呂橋は、新川堀の悪水路に架かっていた橋。橋の欄干の親柱が交差点の歩道脇に保存されている。

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元々はこんな水路だったようで、小土呂橋が存在していたようだが、現在は一滴も水は流れていない。車やバスがたくさん通る大きな通りになってしまった。

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教安寺(きょうあんじ)

写真に写っていないが、山門前にある富士講の灯篭は1840(天保11)年に建てられ、「宿内安全」と刻まれているらしい。

帰宅してから気づいた💦

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川崎市立川崎小学校

昔も懐かしい丸型ポストが良い。川崎郵便局が設置しており、今でも現役だ。

こちらの卒業生には、作詞家の佐藤惣之助や歌手の坂本九がいる。

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だから、京急川崎駅の発車メロディは、「上を向いて歩こう」なんだ。

坂本九さん、44歳で亡くなったのか。若かったのだなぁ。

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芭蕉の句碑

1694(元禄7)年5月江戸を立ち、故郷の伊賀へ帰る際、芭蕉との別れを惜しむ江戸の門人の利牛、野坡、岱水は多摩川を渡り、川崎宿まで見送りにきて八丁畷の榎だんごという店で最後の別れをかわしました。この時、芭蕉が詠んだ句が

「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。

紫陽花と京急の電車がバックでいい味出しています。

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あ!!!

孤独のグルメを観て、是非食べに行きたいと切望している「つるや」だー。

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今日まで休業(涙)残念。コロナウイルス、本当に残念。

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京浜急行八丁畷駅までやってきた。

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八丁畷駅の脇にある無縁塚

江戸時代、災害や飢餓などでなくなった身元不明の遺体を埋葬したと言われている。

これら無縁仏の供養のための「慰霊塔」だ。

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とてもわかりやすい解説でじっくり読んでしまった。もちろん読んでいるのは自分だけ。

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旧東海道に咲くアガパンサスの花が美しい。

川崎市から横浜市に突入。

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夫婦(女夫)橋(めおとばし)

江戸時代、東海道の市場村と川崎との境界には夫婦橋という二つの橋があり、東海道を歩く人々の憩いのばともなっていた、らしい。

しかし、今は橋の面影ゼロ。

単なる道路。立て看板がなければ、ここに橋があったことに気がつかない。

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横浜熊野神社

熊野神社は、紀州熊野別当尊慶が弘仁年間(810-824)「権現社地」に勧請、天保年間(1830-1844)に道上耕地へ遷座、明治5年JR東海道線の敷設により、八幡社のあった当地へ遷座したといいます。

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市場の一里塚

1604(慶長9)年、徳川家康は街道を整備し、一里ごとに5間四方の塚を築いた。塚には榎(えのき)を植え、旅人の里程(りてい)の目安とした。榎を植えた理由は、根が深くはって塚が崩れにくいからだと言われている。ここは、日本橋から5番目の一里塚にあたる。

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鶴見川まで歩いてきた。疲れた。

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神奈川宿まではまだまだ遠いが、この橋を渡って今日の散歩を終わりにしよう。

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車が通ると結構揺れる鶴見橋。怖い。

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生麦事件後、幕府は取り締まりのため、川崎~保土ヶ谷間に番所を設置し鶴見橋には5番番所が設けられ、再び生麦事件のようなことが起こらないように警備がより一層強化され、通行を取り締まるための門と番所が設けられた。それが現在の鶴見橋関門前とされているそうです。

 

ここで散歩終了〜。

歩数計 11714歩

 

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川崎の問屋場跡、セブンイレブンで購入。

6月17日から販売されたばかりのミルクレープ、無糖の珈琲牛乳と共に美味しくいただきました。

 

1日も早く新型コロナウイルス感染症が収束しますように。

小路の紫陽花

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先週の紫陽花寺も良かったが、今週も紫陽花がたくさん見られる場所があることを知り、行ってみた。

横浜市鶴見区駒岡の、長さ70メートル、幅員4メートルほどの小道だ。

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おぉ、随分素敵に咲いていること!

タウンニュースによると、元々、畑の間の水路だったが、通路になって以降、ゴミの投棄が増えたため、住民が花壇づくりに取り組み紫陽花などを育ててきたらしい。

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現在は、地元の老人会が毎月1回、雑草の刈り取りなど維持管理している。(前述のタウンニュースから抜粋)

だから、こんなにきれいに咲いているのか。

それにしても、色々な紫陽花があるものだ。

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これ、素敵だ!素敵な紫色。

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素敵な紫陽花に癒される。

前述のタウンニュースには、「手入れをしているメンバーの一人によると、今年は例年よりかなり早く咲いたとし、小ぶりだという。」とあった。

確かに、6月初旬で満開の雰囲気が漂っている。小ぶりでもいい。今週も疲れた心身を癒してくれて、紫陽花を美しく咲かせてくださっている方達に感謝を申し上げたい。

ありがとうございます。

 

コロナ禍が一刻も早く収束しますように。

そして、日常生活を穏やかに暮らせますように。

 

歩数計 16171歩

横浜の紫陽花寺

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紫陽花(あじさい)といえば、鎌倉の明月院だが、横浜にも密にならずに見学できる良い場所があるとの話を聞き、5月最後の土曜日に訪れてみた。

その場所は、横浜市営地下鉄線のセンター南駅から、徒歩5分の正覚寺(しょうがくじ)だ。

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天台宗の開祖は最澄、ということしか知らない。

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正覚寺の正門。緑豊かな佇まいだ。

文禄2(1593)年に開基された。

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静かで良い感じだ。

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竹林の緑が目に優しい。癒される。

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第二次世界大戦中、正覚寺では学童疎開が行われており、たくさんの子どもが境内の防空壕で過ごしていた。ここは当時使用されていた井戸があった場所らしい。

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本堂

文化年中に焼失し、文化8年(1811年)に再建されたが、大正14年(1925年)に修復され、その後改修を繰り返し、現在に至っているそうだ。

御本尊は病気を治し、健康を授けてくれる薬師瑠璃光如来

新型コロナウイルスに負けない身体でいられますようにと祈った。

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正覚寺は境内に様々な花がある。

その中でも紫陽花と花菖蒲が特に素晴らしいとのこと。

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鐘楼堂と納骨堂の周りに紫陽花が美しく咲いている。

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近寄って撮影。紫陽花いいね👍

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白い紫陽花も良い。

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墓地のそばにも咲いていた。よく手入れされている。

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境内には蓮池があり、🦆の親子が悠々と泳いでいるのを見ることができた。

チビ🦆がたくさんいたが、うまく撮影できなかった。残念😓

ここだけほんの少し密になっていた。

子連れの🦆は人気者だ。可愛さに癒される。

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今回、帰りがけに寄ったパン屋さん

ブーランジェリーパティスリーアダチ」

新型コロナウイルス感染症対策のため、入店は2組までとされていた。

そのため、外に行列ができており、その列に並んだ。

約10分待って購入し帰宅。

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クロワッサンとバナナブレッド。

クロワッサンはかなり大きめ。

バナナブレッドもしっとりしていて甘すぎず美味しい。

お値段高めだがその値段でも納得できると思います。ごちそうさま。

 

鎌倉にも見に行きたくなった。今年も行かれなくて非常に残念。

1日も早く新型コロナウイルスが収束しますように。

 

本日の歩数 12631歩

横浜市歴史博物館と大塚•歳勝土遺跡公園

久しぶりに、美術館シリーズです。

横浜市都築区にある横浜市歴史博物館を初めて訪問してみました。

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当館は1995(平成7)年にオープン。

名前の通り、横浜市の歴史に関する博物館です。

サーモセンサーで体温は35.9℃。

企画展及び常設展の観覧料を支払って入館してみたら、ほとんど観覧者がいなかった。

大きな博物館内をゆっくりと観覧させていただいた。

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まずは、こちらの企画展「縄文ムラの原風景」を観覧。

御所野遺跡(ごしょのいせき)は、岩手県一戸町にある縄文時代中期の遺跡だ。

世界遺産登録を目指している、とのこと。

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縄文時代にいらっしゃ〜いと誘っているような入口。

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おぉ。点々と小さな竪穴住居が見られる。

縄文式土器の展示はもちろん、縄文人の生活と文化について紹介されていた。

先週から竪穴住居ばかり見ている😅

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続いては常設展の観覧。

監視員さんが非常に親切で、上記ガイドブックをくださった。

横浜市内の小学生向け資料だ。大人であってももちろん勉強になる👍

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横浜市歴史博物館に隣接する、大塚•歳勝土遺跡(おおつか•さいかちどいせき)の模型。

ここには、弥生時代のムラやお墓が復元されている。あとで見に行く。

館内は、横浜の30,000年間の歴史をわかりやすく展示していた。

歴史劇場(シアター)では、それらを15分の映像で観ることができる。

映像の案内役は、この博物館のキャラクター「レックル」。

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調べてみたら、オナガドリ(ニワトリの品種のひとつ)らしい。

動きのぎこちなさが、五島列島の道の駅で観たシアターの人形を思い起こした😅

常設展、大人でも十分に楽しめる。

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続いては、博物館に隣接する大塚•歳勝土遺跡公園へ向かった。

大塚•歳勝土遺跡は弥生時代中期の遺跡。国の史跡だ。

1972(昭和47)年に港北ニュータウンの開発に伴う事前の発掘調査で存在が明らかとなった。

 

こちらは、博物館の解説ボランティアOさんが1時間に渡り、案内してくれた。

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当遺跡を子ども達に理解してもらうための石でできた模型。

周りに溝を掘り、高台にあったことがよく分かる。

子どもにとっては単なる遊び場のような気もするが。

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大塚遺跡の保存整備入口。

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弥生時代の大規模なムラが発掘されたのは極めて稀有らしい。

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ムラの長の住居。先週見た三殿台遺跡の住居よりもかなり大きい。

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高床式倉庫も復元されていた。

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緑に癒される。

それにしても夏みたいな雲だ。暑くて仕方ない💦

続いて、歳勝土遺跡へ。

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大塚遺跡に住んだ人々のお墓。方形周溝墓と呼ばれる形をしていて、低い四角形の盛り土と、その四辺を溝で囲んだ形が特長。

発掘当時の状態や木棺を復元している。

ここは公園なので、家族連れがテントを張って弁当を食べる姿を多く見かけた。

熱心に説明しているOさんには申し訳なかったが、かなりお腹が空いてきた💦

ここで、Oさんの説明は終了。熱心な講義、ありがとうごさいました!

空腹だが、広い公園内をもう少しだけ散策した。

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竹林もある。癒される。

竹林のそばには、都築民家園があった。

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江戸時代の民家「旧長沢家住宅」を中心に、管理棟•庭などで構成される区域が、都築民家園だ。

長沢家は、江戸時代の一時期、村方三役の名主役や組頭を務めた。

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土間•ヒロマ。無料で見学できた。ひんやりした空間が心地良い。

しかし、空腹が我慢できなくなってきた。

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グリル蔵敷ノースポート•モール店で、熊本県産牛入ハンバーグだご汁風(1380円)を食べた。

「だご」とは熊本県の方言で団子のことを指すらしい。油揚げと野菜たっぷりの熱々スープが美味しいハンバーグ。

ライス(220円)を別途オーダーしたが、こちらはちょい冷めていて残念。

サンマルク系列の店で、パンを注文している人がほとんどだったからなのか😅

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食後はベッカライ徳多朗で角食パンを購入。

明日の朝食が楽しみだ。

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帰りはセンター南駅まで一駅歩き、ケーキ屋のラ•ヴィ•ドゥース横浜店に寄った。

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都築シュー(280円)をテイクアウトで購入。

今日は食べ過ぎだ。もっと運動しないと。

 

歩数計 11991歩

三殿台遺跡→岡村天満宮→久良岐能舞台

晴れたので、運動不足解消のために散歩に出かけた。

今日の行き先は、《国指定遺跡》三殿台遺跡😆

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三殿台遺跡(さんとのだいいせき)でググると、次に「ゆず」と出てきます。

そう。ここは、横浜出身のアーティストゆずの2人が思い出深い場所として挙げた場所。

アルバムのブックレットにも登場しているらしい。(今日、考古館で初めて知った)

 

三殿台遺跡は、横浜市磯子区岡村の標高55.1㎡の丘の上にあります。

1966(昭和41)年に国の指定遺跡となり、その翌年、横浜市三殿台考古館として一般公開された場所だ。

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岡村小学校の下にわかりやすい標識がある。ここから延々と登って行く。汗だらだら💦

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新しめの幟旗がお迎えしてくれた。

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さすが昭和42年オープンの考古館。古さ抜群。

入館料は無料。

発掘調査の結果、縄文時代から古墳時代にわたる約270軒の竪穴住居跡が複雑に重なり合って見つかり、特に南関東地方で稲作が始まった弥生時代中期とその直後の後期の住居跡が多く発見された。

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館内は4人まで入館できるとの案内が出ていたが、私以外は誰もおらず、ゆっくり見学させてもらった。ほんのわずかなスペースだったが。

ゆずの2人が当地に来て、子どもたちと一緒に写っている写真も飾られていた。

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遺跡の真ん中辺りに建物が建っている。

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中はこんな感じ。住居跡保護棟だ。

この建物の後ろには竪穴住居が復元されている。

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縄文時代中期の竪穴住居。中に入ることができる。

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弥生時代中期の竪穴住居。むむ。あんまり違いがわからない🙄

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古墳時代後期の竪穴住居。こちらは中に入ってみた。

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おー。北側にかまどが築かれている。前の2つの内部には何もなかったが、このかまどで米が主食として普及していたことを物語っているそうだ。

勉強になった。

定員4名とのことだが、見学者は他にいない😓

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丘なので、ここからランドマークタワーが見えます。右側にチラッと。

汗💦が止まらない。暑い💦

 

見学終了。

せっかく岡村まで来たので、岡村天満宮にも寄ってみることとした。ここから500mくらい。たぶん。

遺跡から住宅街を15分くらい?歩くと、見えてきた。

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この鳥居をくぐり、坂道を上る。

すると、左側に見えた。

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はー。やっと着いたようだ。しつこいが暑い💦

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ゆずが伊勢佐木町横浜松坂屋前で演奏している壁画があった。岡村中学のジャージだね、着ているのは。

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岡村天満宮の撫で牛。新型コロナウイルス感染症のため、牛に触れることは禁止されていた。

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岡村天満宮は、「学問の神さま」「文化•芸能の神さま」として信仰されている。

新型コロナウイルス感染症が一日も早く収束しますように、と祈念した。

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ふー。パス通りまで戻ってきた。暑い💦

ついでに久良岐能舞台も見ていきましょうか。

バスに乗らず、歩くこと約20分。

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着いた。

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うわー。みどりが眩しい。

そして、鳥の声が心地良い。

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本日は舞台利用中のため、中の見学はできなかった。

しかし、こちらは庭園のみどりも素晴らしい。

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横浜市に寄贈されているとはいえ、手入れは大変であろう。

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何やら階段があるので上ってみた。

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裏の出口に出た。

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整備された散歩道だ。

汐見台方面には行かないので、引き返すこととした。

久良岐能舞台庭園に戻った。

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庭園内にあるつくばい。この水落ちの石は水琴窟だ。

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こうして水が下にいかないようにすると、水琴窟の音がよく聞こえる。

琴をつまびくような心地良い音色だ。

鳥のサエズリと共に癒された。

 

だいぶ歩いたので空腹を感じた。

上大岡駅までバスで出た。

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インディアンダイニング サティでチーズナンランチセットを食べた。

インド人と思われる店員さんに呼ばれたので入ってみた。

日替わりカレーはアスパラ他色々入ったもの。中辛にしたが野菜が甘いのか辛くなかった。辛口でもよかったかもしれない。チーズナン、久しぶりに食べたが、やはり美味しい。

カレーも美味しかったし、アクリル板もちゃんと設置していたし、お客さんもそこそこ入っていてよかった。

運動した気分になれ、食事も美味しく食べられて良い1日であった。

 

歩数計 12435歩

緑のスタンプラリー

4月29日は昭和の日。

この日は昭和天皇の誕生日だったが、1989(平成元)年にみどりの日、そして2007(平成19年)に昭和の日に改められた。

令和になっても、気分はまだ平成。

そうだ、緑を見に行こう。と、横浜市鶴見区役所が主催する『JR鶴見線て巡る緑のスタンプラリー2021』に参加してみた。

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このチラシには、「大正時代から続くJR鶴見線。レトロな風景、海、そして緑。あなたの知らない横浜鶴見の景色を見つけてみませんか。」とある。

では早速鶴見線に乗ってみましょうか。

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スタート地点、JR鶴見駅西口改札そばのスタンプラリー台紙配布所。

マスコットキャラクター『ガーデンベア』の幟旗が目立つ。

受付の方(区役所の人?)から台紙を受け取って鶴見線に乗車。

鶴見線は3両のローカル線だ。土休日昼間は20分毎に発車している。

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最初の降車駅、国道駅

名前の通り、国道に面している。

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外壁に空襲時に受けた機銃掃射の弾痕があることでも有名。

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そして、この昭和レトロな駅舎もかなり有名。

昼間でもなんだか怪しげだ。

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ここで初めて自分以外にスタンプしている人に出会った。

ひとり1枚しか配布されないはずなのに、5枚くらいスタンプしているおじさんを見た😳

また、鉄オタっぽい男の子も見かけた。

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スタンプラリーは始まったばかり。

鶴見線に乗りましょう。

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続いて降車したのは、弁天橋駅。

こちらは、2012(平成24)年、JFEエンジニアリング株式会社の用地を公園緑地化し、常時一般開放されているゲートプラザ公園がある。

ただ、何にもないなあっていう印象が強い。

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JFEエンジニアリングの看板が一番目立つ。

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はい。スタンプ3つ押印終了!

これで、参加記念品のキーホルダーをもらえる。

しかし、鶴見線に乗ったのであれば、海芝浦駅には行っておきたい。

次の浅野駅で乗り換え、1時間後の海芝浦駅行きに乗車することにした。

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浅野駅舎。この鶴見線扇町行き。

鶴見臨海鉄道の設立者、浅野総一郎にちなんで名付けられた駅。周りは会社ばかり。

この駅から歩いて行かれる入船公園管理事務所がキーホルダー受取場所だ。

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海芝浦方面のレトロな駅ホーム。

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待ち時間がかなりあり、鳥も飛んできた。

入船公園ではバードウオッチングが開催されるらしい。

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海芝浦行きの鶴見線がやってきた。

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今どき、こんなにホームと電車の間が空いている駅は中々ないと思う。ヒョイっと電車に飛び乗った。

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浅野駅から車窓は工場一色。2駅で海芝浦駅に到着だ。

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天気が悪いので、写真映えしない。

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鶴見つばさ橋が遠くに見える。

海芝浦駅は、東芝の工場敷地内のため、改札外には出られない。

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しかし、1997(平成9)年、社会活動の一環として、東芝が敷地の一部を公園として整備した場所がある。それが海芝公園

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手入れが行き届いていて、天気が良ければそばのベンチに座ってぼんやりしたい。

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ガーデンベアがお迎えしてくれました。

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現在は東芝エネルギーシステムズ株式会社京浜事業所。東京ドーム約11個分の敷地か。デカいな。

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海芝浦駅は、2000(平成12)年、関東の駅百選に認定されたようだ。横浜駅桜木町駅も認定されているとのこと。知らなかった。

鉄道は奥が深いな。

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さあ、浅野駅に戻るとしますか。

この電車に乗り遅れると、次の電車は1時間20分後だ。

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浅野駅で降車し、入船公園に到着。

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緑豊かな入船公園。産業道路のすぐそばだ。

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公園管理事務所前でいただいた、オリジナルキーホルダー。

表は鶴見線鶴見区キャラクターのわっくん。

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裏側はガーデンベア。

早速明日から使わせてもらいます(^ ^)

 

ところで、スタンプラリーの押印場所は、もう一箇所あります。

そこは、先週伺った馬場花木園。

鶴見線沿線ではありませんが、緑のつながりで横浜市が押印場所に選定したのでしょう。

 

さてさて。

今回のスタンプラリーは、鶴見の沖縄タウンとコラボしている、とチラシに記載されている。

入船公園から徒歩で沖縄タウンに向かった。

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鶴見には、戦前から京浜工業地帯に立地する工場で働くために、沖縄の人々が多く在住していました。

また、沖縄から南米にわたった日系2世・3世も鶴見の沖縄出身者を頼って移住してきました。

そのため、ここ鶴見には沖縄料理屋が軒を連ねています。

(スタンプラリー台紙の説明文より抜粋)

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自動販売機でもさんぴん茶が売られている沖縄タウン。

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おきなわ物産センター隣のてぃんがーらで、三枚肉とソーキ肉入りの沖縄そば(750円)を食べた。

スタンプラリーの台紙を見せると、ハイビスカスティーをサービスしてくれた。

ティンガーラって何なのだろうか、とググってみたら、沖縄方言で天河原、天の川のことだそうだ。へー。

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ハイビスカス🌺の花がいいね。

 

歩数計 10267歩

今回は電車に乗っていることが多かったので少なめ。

コロナ禍が一日も早く収まりますように。