京急シリーズ4回目。
そして、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が始まったので、鎌倉に割と近い金沢文庫駅から、称名寺と神奈川県立金沢文庫を訪れてみた。
「鎌倉殿の13人」の主役は、北条義時。
称名寺は、北条義時の孫、北条実時が鎌倉時代に建立したとされる。
金堂前の阿字が池を中心とした浄土庭園が有名だ。
朱塗りの反橋と平橋が掛かる庭園は非常に美しい。
反橋をゆっくり渡る。
池を悠々と泳ぐカルガモが可愛らしい。
アオサギもいた。今日は暖かく、池のほとりで休む鳥をたくさん見た。
称名寺の金堂と釈迦堂。
北条実時公の像。
実時は、父が若くして幕政から引退した後を受け、わずか11歳で小侍所別当の要職を継いだ。
幼少のころから利発であったと言われ、伯父の北条泰時は実時に目をかけ、執権となる孫の経時の相談相手になるよう指導したといわれている。
称名寺境内をぐるりと取りまいた山「称名寺市民の森」に登ってみた。
頂上の八角堂広場に到着。
かなりゼェゼェしてしまった💦
おおっ。ランドマークタワーが見える。
反対側に下ると、北条実時公御廟にたどり着く。
実時は政治面で活躍する一方、広範な分野の学問にも力を尽くし、文武共に優れた知識人で、現在の称名寺がある他に別業を開き、金沢文庫の礎を築いた、と脇の説明板に書いてあった。
素晴らしい人だったのだな。
中世の隧道。
こちらが、神奈川県立金沢文庫に繋がっている。
あちらの隧道は通れない。
このトンネルを抜けると、神奈川県立金沢文庫がある。
金沢文庫は、我が国で現存する最古の武家文庫。
金沢北条氏の歴代が蓄積した文書・記録・和漢の典籍が保管されていた。
鎌倉幕府が滅亡した後に接収をまぬがれた書物や書類は、 称名寺で保管されていたそうだ。
1897(明治30)年、伊藤博文の斡旋によって金沢文庫が再建され、関東大震災で被害を受けた後、 1930年(昭和5)年、神奈川県と大橋新太郎が費用を折半し、阿字が池の横の広場に「神奈川県立金沢文庫」を建てた。
1990(平成2)年、現在の場所に「神奈川県立金沢文庫」が建てられ、称名寺とつなぐ新しいトンネルも作られた。
神奈川県立金沢文庫 展示案内
いつ来ても良い施設だ。400円の入館料を払う価値がある。
さて。少し休憩したくなった。
カフェ金沢園に立ち寄った。
1930(昭和5)年から旗亭(宿泊のできる料亭)として使われていたが、2020(令和元)年に閉業。
新たに“カフェ”としてリニューアルされた。
1階と2階がカフェスペース。2階を希望した。
古民家カフェでくつろいだ。
バナナタルトとコーヒーのセット880円。
日の差す和室でゆるりとした時間を過ごすことができた。
カフェ金沢園を後にし、海の公園まで歩いた。
八景島のジェットコースターが見える。
今日もよく歩いた。
最後に訪れたのは琵琶島神社。
1180年(治承4)年、源頼朝が三島明神を勧請して瀬戸神社を創建した時に、夫人の北条政子が夫にならって、日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられている。
島の形が琵琶に似ているので「琵琶島弁財天」とも呼ばれている。
参道入口の右側に「福石」がある。
源頼朝が瀬戸神社参拝のため、平潟湾で禊をした時に衣服を掛けた石なので「服石」とも呼ばれたと伝えられている。
最後にやっと「鎌倉殿の13人」の登場人物ゆかりの場所に来た^_^
琵琶島神社から臨む平潟湾。夕焼けが美しい。
歩数計 21069歩