ついに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わった。次から次に人が殺され、落ち込むことが多かったが、目の離せないドラマだった。
最終回もBSと地上波で二度見して満足する内容だったが、来週から放送がないのが少々寂しい。
鎌倉殿の13人〜三浦一族ゆかりの地 横須賀と三浦へ - かんのん日記
三浦一族ゆかりの場所は3月に訪れているが、最終回、最も印象に残った三浦義村(山本耕史さん)の墓参りをしたい気持ちになり、本日ついに訪問することができた!
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京急のおトクなきっぷ(往復の電車代、バス代、食事代、おもひで代をセットにした企画切符)を購入。
三浦義村の墓は、京急線の三浦海岸駅からバスで行くことができるので、マグロを食べ、墓参りし、温泉に浸かってこよう、というモクロミである。
かなり前になるが、三浦国際市民マラソンに出場したことがあるので、土地勘はある。
高橋尚子さんがゲストに来ていた年で、ゴール手前でハイタッチしてくれたことを懐かしく思い出した。
「まぐろが旨い」看板に目が釘付け。
墓よりもまずマグロだ。
丸ごと三崎づくし(まぐろ、地魚、軍艦の12貫)
まぐろはもちろん、地魚の握りも美味しかった。
あら汁もついてきて、身体が温まった。
三浦海岸のすぐそばのバス停から京急バスに乗り、三浦義村の墓がある岩浦(いわぶ)まで向かった。
バスに15分ほど揺られ、ついに三浦義村の墓の入口までたどり着いた。
この階段を上った所に墓があるらしい。
あった!立派な墓だ。
三浦義村は三浦一族第六代当主で、石橋山の合戦の折、子孫を守るため衣笠城で討ち死にした三浦義明の孫だ。
鎌倉殿の13人でも、その政治力を発揮し、最後まで生き残り、三浦一族のなかでも隆盛を極めた一人である。
関東大震災の折には、義村の墓石が屋下の海まで落ちてしまったが、地元の人々によって再建された。その再建された墓がこの新墓。
祖父の三浦義明とこの義村、素晴らしいお方だったことをドラマを契機に知ることができてよかった。
ちなみに、最初は気がつかなかったが、こちらが関東大震災で崖下に落下してしまった旧墓。
説明文を読んでやっと理解できた。
新墓のそばには鳥居。
奥には八坂神社。
こちらに三浦義村の守本尊を安置しているとのことだが無人だった。
三浦義村の墓の近くには、岩浦山福寿寺がある。
開山は1212(建暦2)年3月、開基は三浦義村で、寺は1200(正治2)年3月建立とされている。
三浦義村が愛用したと伝えられている機、鑑、協差等が保存されているが、コロナ陽性者が出たため、拝観はご遠慮願う旨の貼り紙がされていた。
鎌倉殿の13人でも描かれていたが、三浦氏は、源頼朝が幕府を開くまでの間、一族を挙げて頼朝を援け、強い信頼をえていた。
この時期の三浦氏は北条氏を凌ぐ勢力だったようで、義村は三浦氏の最も隆盛の時代を築いた人だ、と誇らしげに三浦市の看板に書かれていた。
福寿寺の墓地から見た美しい金田湾の景色。
12月だが日差しが暖かい。三浦は温暖な地域だ。
寺から下って道路に出ると、朝市の看板があった。
目の前は金田湾の海。
レストランが営業中のようだったが、先程寿司を食べて満腹のため入店はしなかった。
道路のすぐ脇は海。バス15分の距離はなかなか遠く、帰りもバスに乗ることにした。
人がほとんど歩いていないので、ちょっと不安になってくる。
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今日最後の目的は、みさきまぐろきっぷのおもひで券を、三浦マホロバ温泉日帰り入浴(フェイスタオル付)に使うこと。
そうか、今週末はクリスマスなのだなぁ。
地下1,500mから湧き出る上質の天然温泉は、肌になめらかな潤いを与えてくれるとのこと。
空いていたので、約1時間ゆっくり浸からせてもらった。
2022年末の良きおもひでになった。
歩数計 9473歩