今日は、横浜市港北区小机町にある、小机城址市民の森を訪問した。
神奈川県の感染者数は、昨日は過去最多となる1418人だったので、人流が活発になる昼間を避けて、朝6時過ぎにJR小机駅に到着した。
駅にあった案内。非常にわかりやすい。
ふむふむ🤔 雲松院も見所なのか。
雲松院といえば、俳優の内野聖陽さんの実家だ。
ドラマ「きのう何食べた?」の内野さん、非常によかった(上から目線ですみません)。
歴史を感じる山門だ。
小机城の城主であった小田原北条家の家老笠原越前守信為が主君北条早雲と亡父能登守信隆の菩提を弔うために建立した、とのこと。
約500年くらい前に建立されたらしい。
以下、雲松院の公式ページから抜粋。
『北条の歴史書である「小田原衆所領役帳」によれば「大永四年(一五二四)氏綱が江戸城を攻撃しての帰り、この小机の地を通りかかって、当時廃城となっていた小机城の修復を命じ、そこに笠原越前守信為とその子康景を城代として置く」と書かれており笠原氏と小机の関係はこの時から生じる。
笠原氏は当時、伊豆戸倉の城主だったというが、新しく移った小机城はその所領十八万石といわれ、陪臣ながら戦国の英雄織田信長の最初のころの所領などと比べるとずっと大きな大名である。
新領主となった笠原氏は、当時の武将の間で深く信仰されていた曹洞宗の熱心な信徒であったので旧領戸倉に近い静岡県榛原郡榛原町の石雲院七哲の一人季雲永岳に頼み、その弟子天叟須孝和尚を招いて雲松院の開山とした。』
現在笠原氏とは檀信徒の関係は失われている、とのこと。
笠原家の墓所から見える風景。
本堂の右側に、日産スタジアムが見える。
今日も暑くなりそうだ💦
小机辻を右折した先にあった電信柱。
わかりやすい道案内だ。
JR横浜線の線路を渡って左折すれば、まもなく小机城址市民の森に到着する。
小机駅から徒歩約15分の場所にある。
小机城址市民の森の入口にあった、根古谷(ねこや)広場。
小机城は、戦国時代に北条氏が縄張りを整備した標高42m(比高22m)の平山城で、当初の築城年代や築城者は不明。
1524年には小机城主として北条氏堯(北条氏尭)が任じられたが、まだ2歳だったので、小机城代として笠原信為が入り、大改修を行い前線拠点として整備されたそうだ。
その後は北条時長、北条氏堯、北条氏政の弟・北条三郎、北条氏光などが城主を歴任するが、実質的には笠原氏が城代としてまとめ続けたらしい。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、小机城主は笠原虎千代だったが、小机城を放棄して、ほぼ全員が小田原城へ籠城し、豊臣勢は小机城には攻撃すら行かなかったようである。
その後、徳川家康が関東に入ると、小机城は廃城となった。
公園としてきれいに整備されており、竹林が美しく、目に優しい。
寺尾城址や茅ヶ崎城址でも見たが、ここの空堀(からぼり)が一番わかりやすかった。
土塁も写真にするとイマイチだが、土で築き上げた防備壁の様子がよくわかった。
小机城址、保存状態が非常に良い。さすが、続日本名城100選だ。
二の丸広場。
現在地は二の丸と呼ばれているが、資料不足のため、明確に二の丸と断言できない、とのこと。
本丸広場入口。
こちらも城址の調査等実績の少ない小机城については現在地が本丸跡とは断定できないらしい。
まだ朝7時だが、汗が止まらない💦
人はいないが、蚊に刺されまくる😭
市民の森の西側に富士塚があり、その富士塚頂上の富士仙元の石塔を見に行くことにした。
小机城は第三京浜が南北に走り、東西に分断されてしまった。
第三京浜の下のトンネルを抜けた先のこの急な階段を上っていく💦
階段を上って行くと、第三京浜を見下ろす事ができる。
奥に日産スタジアムと新横浜プリンスホテルが見える。暑い💦暑すぎる。早朝なのに。
富士仙元の石塔。なんとか見つけらた。
小机城址市民の森、蚊に刺されまくったが、整備されていて良い所だった。
小机駅に戻る途中で見た看板。
かなり古いが、土地が第三京浜で分断されている事がよくわかる。
暑くて仕方ないが、まだ朝早い時間帯なので、タオルを首に巻いて新横浜駅まで散歩を継続することとした。
東京オリンピック2020の会場、日産スタジアム。人はほとんどいない。
周囲にはランニングしている人や警察官がいたが、中には入れない。
スタジアム脇できれいに咲いていた。
ソルボンヌというユリの花か?
カフェミラノ新横浜でモーニングフレンチトースト(530円)を食べた。
ここで時刻は朝8時。
散歩のゴールは、横浜アリーナとした。
医療従事者の皆様、アリがとう。
歩数計 12607歩
人が出歩く前に急いで帰宅した。
暑かった💦