かんのん日記

主に旅行記です。

鎌倉殿の13人〜頼朝が信頼した畠山重忠ゆかりの地

本日の東京都内の新型コロナウイルス感染者は17,000人を超えた。

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寒いが、天気は悪くないので、先週に続き「鎌倉殿の13人」の登場する人物ゆかりの地を訪れた。

今回は、畠山重忠中川大志さん)だ。

鎌倉幕府を開くときに力を尽くし、 源頼朝にたいへん信頼されていた人物だ。

残念だが、鎌倉殿の13人のひとりではない。
重忠公は、清廉潔白、 誠実、 思いやりがあり、 怪力の持ち主であるとともに、 芸事にも秀でた名将だったが、幕府の権力争いにまきこまれ、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ、 鎌倉に向かう途中、 北条義時率いる大軍に滅ぼされた。

重忠が討ち死にしたのが、現在の横浜市旭区鶴ケ峰付近である。

本日は、相鉄線鶴ヶ峰駅周辺の散策。

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早速、旭区役所で作成したマップを入手した。

旭区のゆるキャラ「あさひくん」が重忠に扮して、ゆかりの地を紹介している。

先に断っておく。今日は写真が地味である。

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1184(寿永3)年2月。

平家軍と源頼朝が派遣した源義経・範頼軍らが戦った源平合戦の一つ、一ノ谷の戦いでのエピソード。

険しい山を馬もろとも駆け下りる義経軍の中、重忠は愛馬•三日月を労わり、担いで下りたと言われている。

これが有名な「ひよどり超えの逆落とし」である。

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畠山重忠公碑。

重忠没後750年を記念し、1955(昭和30)年6月に建立された。

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重忠公碑の脇にある、さかさ矢竹。

重忠が矢に当たった際に、「我が心正しければ、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と言い、2本の矢を地面に突き立てた。

この矢が根付き、毎年2本ずつ増えて現在に至っている、ということか。

こちら、見晴らしの良い場所で、管理が行き届いており、地元の人に愛されていることがよく伝わってきた。

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首洗い井戸。

この地で最期を遂げた重忠の首を洗ったと言われている場所だ。

以前は、直系1メートル程の穴があって水が湧いていたというが、現在では川の流れが変わってしまい失われてしまったという。

旭区役所の一角にひっそりと佇んでいた。

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首塚

重忠の首が祭られた所と言われている。

ここも区役所の裏。ひっそりしすぎている。

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六ツ塚。

重忠をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられる。こちらの薬王寺には重忠の霊が祭られている。

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駕籠塚(かごづか)

畠山重忠の妻「菊の前」は、合戦の連絡を受け、急ぎかけつけたが、この地で重忠戦死を聞いて悲しみ、自害した。

自害した当地でそのまま駕籠ごと埋葬されたと言われている。

 

悲しいエピソードばかり。

戦死した場所と承知の上で回ってはいるが、気持ちは上向かない。

そんな時は何か食べよう!と、和菓子店へ。

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当地で40年以上続く若草へ入店。

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畠山家の家紋を入れた最中(税別170円)を購入。胡麻餡と大納言餡を購入。

自宅でいただいた。美味しい最中でした。

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重忠とは関係ないが、帷子川親水緑道も歩いてみた。

帷子川の旧河川敷を活用した公園で、地元の方の散歩コースのようだ。

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ここのカルガモも可愛い。

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吊り橋まである。小川のせせらぎが心地良い。

ここからは相鉄線鶴ヶ峰駅はすぐだ。

日が暮れる前に帰途に着いた。

 

忠実で優秀な武将の畠山重忠

鎌倉殿の13人、楽しみな人物が増えた。中川大志さんの演技に注目。

 

歩数計 23514歩 

和菓子屋がかなり遠かった。